ボトルネックって

全部くだらない戯言。

ギルティクラウンというアニメ

そう…ギルティクラウンっていうアニメがあったんです。

あれは暑い夏の真夜中だったかな。

 

僕はなんのキッカケか、命を削るようにアニメを見ていた時期がありました。

そのころ僕は中学生、まぁ、よくある話でしょうけどね。

 

 

僕もその例に及んで、ご飯を食べることと寝ること以外はアニメを見ていました。

ちょうど夏休みだったから、家族に白い目で見られるくらいで現実には問題はありませんでしたよ。 

その後はさておき…

 

最初は評判の良さそうなアニメを見ていたわけですが、やっぱり万人とも言える人たちが揃って良いというアニメなんてそうないんです。

 

それで、あらすじとタイトルで選んで一話見て、気に入ったら全部見るってのを繰り返していました。

 

 

 

そんなとき、ギルティクラウンっていうアニメがあったんです。

 

一言でいうと、面白かった。カッコいいなって思いました。だってそうでしょ。

 

 

「友達を武器に戦う、それは僕が戴きし、罪の王冠」

 

 

中二病には惹かれるテーマでしょう。深く考えないで、雰囲気というか感覚で楽しむ。すると、最高に面白いアニメと言えます。

 

 

 

しかし、調べると出てくる。低評価の数々…

当然です。考えるとおかしい、物語として破綻してると言ってもいいくらいに。

 

でも、僕は見てほしいんですよ。特にいま学生だったり、少し前は学生だったなんて人達に。

あ、男性ですよ。

 

 

まぁ、さっきも言ったように物語としての完成度は低いです。多分、うまくいったら面白いアニメトップ10には入っていたじゃないか。

そう思うひとがいるから、低評価が多いってところあるはず。

 

 

というのも、物語としての設定や登場人物たちの設定などが、かなり面白くなりそうな内容。

アニメはそのあたり尺の問題で、飛ばしすぎたり、いらないところを長くいれたりで、要するに説明不足。

 

 

特にep1が意味不明で突然すぎる。何の説明もなく主人公はなにかしたいとそれだけ。ロストクリスマスの描写が後半に少しだけなのが痛すぎる。

 

 

アニメは、といってもオリジナルアニメなので原作はないです。やはり、そこにも準備というか設定の詰めが甘い理由がありそうです。

 

 

きっと入れたい要素だったり、話が多すぎたんでしょうね…、詰め込みすぎですよ。物語として伝えたいことが意味不明。

 

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…さて、僕が気に入っている点としては、映像や音楽の素晴らしさ。これは満場一致の見解でしょう。

 

 

そして、ヒロイン。楪いのり。彼女は主人公である桜満集に最後まで尽くします。それは、ヒロインとしてのあり方の一つの回答になるかと思います。物語の中で主人公を本当の意味で、傾倒し依存する勢いで信じたのは彼女であり、また主人公も同レベルで信じたのは彼女だけでした。

 

 

主人公、桜満集。彼は主人公として失格です。しかし、このアニメで主人公としての働きは期待されていない。どれだけクズ最低であっても、問題ありません。彼は王なのです。箱庭の王であり、仮初の王。

 

 

実際、僕は彼をクズだとは思いませんが、そう思う人が多くいるようです。問題ありません。

全く大人ではないし、自分から動こうとしない自然な変化を待つタイプの人間です。現実では、変化などそうそう起こるものではないですが、アニメなのでそこは問題なし。

 

 

彼は一言でいうと「自分の意思がない」のです。それは最後まで一貫してありません。大きな川の流れに逆らうことのできない葉や流木と同じように。

 

 

しかし、それは現実には生きるほぼ全ての人間にも言えることです。人間は弱い、力を得たとて失うこともある。キレイなばかりでもないし、寧ろ心の内は汚かったりもする。

 

 

なにより、彼は力を王冠を得て、罪を背負い。そして、結局失った。

 

 

 

恙神 涯。彼は葬儀社と呼ばれる政府側(アンチボディズ、GHQ)と敵対するテロリストのリーダーです。彼の行動原理はいまいちよく分かりません。

色々とこれだろうと言えることはあるのですが、フワッとしていて確実ではありません。

 

 

強くなるために組織をつくったのか、アポカリプスウイルスに抵抗するために組織をつくったのか。それとも政府に抵抗するために組織をつくったのか。

 

 

作品のなかで言った通りで、桜満真名を救うためなのか…。確かにアポカリプスウイルスのはじまりから解放できてはいますし。自分の考えを誰かに伝える場面があまりに少なく、回りくどいという印象です。

 

 

とりあえず、もしもそれで桜満真名を救う理由が恋だったなら、彼自身に救いはなかったし、色々と残念に思います。

 

 

 

校条 祭。意志のない主人公を暗い夜道に迷いこませないように、輝く唯一の光。桜満集の心の半分以上は祭で占められている。

 

 

 

疲れた。最後、嘘界(セガイ)。この作品である意味、一番マトモな人。その行動原理は明確で狂人として描かれているが、行動に一貫性があるため、あまりそうは見えない。この人が最初からセフィラゲノミクスの所長やGHQのトップでもおかしくなかった。むしろ、あの人たち小物すぎないだろうか。

 

 

 

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□エピソードごとの感想

 

 

ep1

なにか起きないだろうかと、窓際の席でたそがれる主人公が中二病なのは疑いようがない。

ヴォイドゲノムがその手に落ちたのも、適合したのも運命。

 

 

ep2

日常から離れたがっていた集が涯の誘いを断り、日常へと戻った。謎行動だが、主人公の性格をよく表している場面。

 

 

ep3

寒川谷尋の裏切りは当然。彼の行動原理は弟である潤が全て。体育館?で彼を殺さなかったことで、学園での集のヴォイドランク王国がはじまる。ある意味、あれが弟の死の復讐か。

 

 

ep4

GHQと葬儀社どちらを信じるか悩む集、それも当然どちらも知らなすぎる。結果、集が信じたのは単身助けに現れたいのりだった。いのりが来たことに驚く涯であった、後々にいのりは集への献身は涯の命令だと言う場面がある。この時いのりが来たのは、十中八九自分の意志。

それをふまえると、確かに集への献身は命令であったが、しかしこのときから自発的な意志でもあったことが分かる。

つまり、あれは恋心に戸惑う裏返しの反発だった。

 

 

ep5

ちょっとep4にフライングして言い過ぎた。訓練は集の自信をつける場面かもしれないが、ぶっちゃけそんなにいらないシーン。涯の部屋にいのりが入っていったのはR18展開ではない。

 

 

ep6

集がカッコ悪い。まぁまぁ涯を疑ってたのに、涯の独り言を聞いて殴り合いしたら万事解決した。いのりがあの場所に連れてきたというのも、涯の命令。その発想はなかったのだろうか。

 

 

ep7

供奉院を登場させるためだけのエピソード。後半あれだけブラックなエピソードがあるなら、説明回をこの辺にいれてもよかった。若干コメディ感がある。ちょっとふざけた?

 

 

ep8

魂館颯太との関係がツギハギだらけのパッと見友達から、知り合いへと変化した。このアニメは恋愛っていうジャンルではないとは思うが、このあたりで集はいのりへの気持ちをハッキリさせてもよかった。最終回まで集はいのりに好きって言ってない気がする。

まだ、颯太のヴォイドが缶切りって言われてない時期。

 

 

ep9

集の慢心で起こった悲劇?。潤と谷尋の関係を美しい兄弟のままで、終わらせるなら集の決断は正しかった。このエピソードで集は自分の慢心を恥じ、ヴォイドを取り出すことにトラウマを持つ。ただ、集の慢心はおそらく鈍感とセットになるほど性格のうちに入る。いのりか涯がいないと作戦はうまく進まない。

 

 

ep10

ツグミ音ゲーみたいな動きが気になる。祭に対して失礼なことを言う集だが、絶対分かってない。謝りすぎて集の謝罪は価値が暴落している。茎道の目論見はかなり俗なのが、見え始める頃。

 

 

ep11

きっとハッピーエンドで終わるアニメなら、ここで終わってる。けれど、ここで終わってたらたぶんそんなに好きになれない。

 

 

ep12

説明回。ある程度、ロストクリスマスで何があった分かる。集と真名は血縁関係にないため、真名の集への気持ちは一応法律上おかしくないのか?

集は目的を果たし、涯は失敗した。涯の真名の解放はこの失敗で、手法を変えることになったという解釈は合ってるのだろうか。

 

 

ep13

また、新たな局面へと移ったという説明回も含まれているはず。正直このエピソードもいらない。意味があるとすれば、ヴォイドレゾナンスゲージを手に入れたこと。確かなのは奴らは青年という年齢ではない。

 

 

ep14

この学園には性欲しか頭にない男が多いらしい。

供奉院をトップから引きずり下ろしたところで、物資の確保ができるのは供奉院グループだけ。眼鏡がトップになってどうしようとしていたのかは不明。

集はep13-14にかけて比較的落ち着いているが、いざというときの力を持っているせいか、それとも次話への裏返しか…

 

 

ep15

悲劇だが、好きなエピソード。全てのひとの機嫌をうかがいどっちつかずな態度をとっていたことで、

集は祭を失った。集はリーダーとして祭の意志と反して、非情になることを選んだ。

なんだかんだ言って集と涯は似ている気がする。

 

 

ep16

祭の死によって狂いはじめる集、と思いきや本心をいのり以外には閉ざしているだけだった。心を操る集の心を見ようとする者はいない、王国民は王の表面だけを見ることで物語は進んでいく。

 

 

ep17

有象無象の不安や憎しみはやはり、トップを変えるだけでは消えなかった。恐怖は人を縛ったが、縛られた人の目的の優先順位が、脱出から復讐へと変化することを集は予期していなかった。そして、最もいらないシーンがこのエピソードには含まれている。

王の力を失う集、やり方を変えた涯にとってそれは集を救ったつもりなのかもしれない。涯がもはや別人とは安直すぎて僕はそう思いたくはない。彼が現れたこと自体に不思議はない、彼は元より死人。

 

 

ep18

全てをなくした少年に手を差し伸べるのは少女ひとりだけだった。罪が許されることはないが、それを差し置いても少女を失うことは見逃せない。

 

 

ep19

ヴォイドゲノムが集の元に現れるのは2回目、どちらも運命だった。死の覚悟をしたからか、集はこのエピソード以降揺るがない。

 

 

ep20

過去を知り、淘汰の光に旅立つ集。ヴォイドと同様集は全てを受け入れ赦す。

 

 

ep21

のりを助けることはもはや叶わない。怒涛の展開に理解も追いつかない。前々から思っていたが、ダアトが王の力を使えるのは、3本のうちの1本ということでいいのだろうか。それにしても、白服のやつらの心から出るヴォイドが武器ばかり。涯の目利きか?

また、涯とダアトのヴォイドの使い方は何なのか。心を混ぜ合わせてなんともないなんて有り得るのか。

説明ください。

 

 

ep22

集と涯の最後。彼らが戦う必要は本当にあったのだろうか。いずれにしろ涯は目的を達成し、集は失敗した。

いのりはずっと一緒にと言ったが、集はいのりにかばわれ一人満身創痍で救われる。その意味とは彼の心にずっと一緒にというわけか。

 

 

水際の木陰にあるベンチ、彼女の歌を聞きながら目を閉じればすぐそこに

 

 

結果として、集はほぼ全てを失った。王の力と罪の代償と言える。

主人公の最後としては印象に残る場面だろう。

 

全ての登場人物に目的があり、正義があり、それに従い行動する。全体を見るとチグハグな感が否めない物語だが、集にとってはハッピーエンドなのかもしれない。

 

 

例え一見バットエンドにしか見えなくても、彼は視力の失った目を閉じれば、いのりがいるのだから。

 

あれ?もしかして終わり?

 

 

 ……

 

 

 

まぁ、僕は最後の終わり方、気に入ってます。

 

 

主人公がヒロインと永遠に共にいるからではなく、主人公である桜満集が力を得たが、その代償は力を得る以前よりも大きく身体能力を低下させました。

 

 

つまりは、大きな力には代償が付き物だろう…っていう所がいいんです。

 

 

また、その結果得るものは第三者から見れば何一つない。寧ろあのとき徹底して葬儀社と関わらなければ、祭と幸せな未来があったのではないか。

 

 

そんな不合理というか、主人公の意志の弱さの生んだ結末が好きですね。

 

 

主人公とはいえど涯や谷尋など、登場人物と変わらず何かを失うっていうね。

 

その点、缶切りと呼ばれる彼は……

 

ぶつ切りみたいに終わるけど、それもそれで見方を変えればエモいでしょう。

 

ん?何ですか?打ち切りエンドではありません。

 

 

 

 

さて、このアニメの次に見たのは[ C ]THE MONEY OF SOUL AND POSSIBILITY CONTROL です。

 

この流れは覚えています。そう、知ってる人は分かると思いますが、このとき僕はノイタミナのアニメを巡っていたんですね。

 

いずれ今更このアニメの感想を書くこともあるかもしれません。

 

 

…ところで、ギルティクラウン、ヴォイドゲノムは王の力とも呼ばれますが、王…心惹かれます。

 

僕は小説でも戦記が好きなんですよ、没落寸前の王国や帝国を全盛期以上に復活させる物語とかね。

 

そんなわけで、中二病の方々、おすすめです。

 

 

暑い夏のはじまりとビギナーズラック

春…春休みがあったなぁ、夏…夏休みだ!、冬…冬休みでしょ。

 

学生はそんなふうに季節を捉えるわけですが、僕には遠い過去のようです。

 

ふとした時に、長期休みを思い出し呟いてしまうのは、それが名残惜しいからです。

 

これが学生気分が抜けないってことでしょうか、それとも年間休日の少なさを嘆く社会人の一般的思考とも言えるのか。

 

ともあれ、暑い夏のはじまりです。

 

 

 

賭け、賭博というものに興味はありません。

 

なぜなら、僕の場合後々の負けが確定しているからです。

 

数少ない人生経験において、僕は安牌を選び堅実に生きていきました。

 

ひと度、当ててやろうと行動すれば失敗し、何も考えずに行動すると良い方向に進みがち。

 

僕にとってハイリスクハイリターンの行動は、未だに成功のないものです。

 

 

しかし、ビギナーズラックという言葉は信じています。

 

 

つまり、この言葉に従い何の気なしに、宝くじを買ってしまいました。

 

もちろんそんなに多くは買ってません。

 

ビギナーズラックはある程度少額、ビギナーの手の届く範囲でやらないと発動しない能力なのです。

 

まぁ、3000円ほどでしょう。

 

3000円当たれば元が取れて、それ以上なら倍々です。堅実です。

 

これが成功したかどうかは僕のみが知るところですが、期待はしていません。

 

賭けは運・運命に身を委ねる行為です。江戸時代からあるような、娯楽は別として、得られるものはたかが知れてるものです。

 

また、現代のかけはテクニックも必要な気がします、そのために時をかけるのかと考えると……

 

どちらも〜でしょうと繋げようとしましたが、思いつきません。いつか追記しときます。

 

 

ふと思ったのですが、高額当選者には募金のお願いが付き物らしいですね。

 

宝くじを買うような経済レベルの人物に募金を募るのは無駄に思うのですが。

 

その1億円は収入とも言えない、泡銭なんですから。

 

通帳を見た時ごとに泡のように無くなってますよ。

 

そもそも運で手に入れたものを、誰かにあげるというのが、縁起が悪いと僕は思います。

 

募金は貯金と同様にコツコツするのが、主旨にあってるとも思います。

 

もちろんそれは時があればの話でありますが。

 

 

 

甘いものが食べたくなる時期、それが夏というものです。

 

しかし、ふとした時にあれ?糖尿病になりそうなくらい甘いもの食べてね?って思いませんか?

 

そんなときに飲むのが無糖アイスコーヒー!

身体の中の糖分と相殺することで糖尿病を予防!(景品表示法違反)

 

そのように勝手に思うくらい、この理論を身をもって使用してます。

 

大体甘いものを食べて身体を気にするのって、後の祭りでしかありません。

 

調節して食べるのが何においても大事です。

 

無糖アイスコーヒーは自分の中で、糖尿病の心配を打ち消す論理ドラッグでしかありません。

 

コーラだって死ぬほど糖分入っていますので、注意を、若いうちに糖尿病なんて洒落になりません。

 

僕はもう当分炭酸水でいいです。

 

アーモンドチョコと無糖アイスコーヒーを飲むのはやめないけどね。

 

さっきの話とは別に食べ物として、合うから。

 

冬には無糖ホットコーヒーとチョコになるわけです。

 

 

この記事の内容がバラバラなのは、書くことがないということもありますが、書いてる日が違うということもあります。

 

不思議なことに夏真っ盛りに書き始めたこの記事も、あれ?もう少しで秋が見えてくるんじゃね?

 

と、まぁそんな頃になってしまいました。

 

一つ言いたいのはスマホを変えてから、非常に文字を打つのがスムーズにいかない。

 

前のスマホはバッテリーがオーバーフローして、電源すら付かなくなりました。そして、5Gの波がきている今、そんなの知るかと言わんばかりにそこそこのやつを買ったわけです。

 

すると、フリックが非常にしずらい。cpuがクソなのは分かっていましたが、ここにも影響するのかと悩むばかり。

 

初期のグーグルだかのキーボードが使いづらいだけですかねぇ…

 

カメラなんてどうでもいいから、基本動作をグレードに関係なく、ハイレベルにしてくれと願います。

 

カメラにどうこう言う人なんて、一眼レフを買う人以外は、全員にわかなんだから。

 

かくいう僕はにわかどころか、興味もないです。アルバム見たら直近の写真が数年前なんてザラですよ。

 

(このキーボード改行するたびに、消えるのマジで…)

 

あーそうそう、宝くじ外れました。いやぁ、僕って小銭を集めて大金にするほうが好きなんですよね。

そんなに期待してなかったから、どうでもいいです。

 

バラ10口なんて、若干当てにいくから、こうなるんですよね。次買うなら1口です。運っていうのは1万口でも1口でも関係なく当てる。

 

 

僕はギャンブラーではないので、当てにはいきません。そこを徹底してなかったから、こうなるんですよ。

 

まぁ、実は300円は当たりました。

 

大したことないな…って多くの人は思うでしょうが。

 

それは違う。

 

300円を軽んじる者は300円で泣く。特に社会人は倍々に金銭感覚が緩くなっていきますからね。

 

僕は学生のとき100円単位で渋るレベルのケチでした。もっと上がいることを考えるて、中級ケチとでもいいましょうか。

 

しかし、今はそこまで考えていません。これは危ない。僕も危うくそこらへんにいる大金を夢に見る人になるところでした。

 

使うべきときに使う。それがお金です。それを投資と言いますが、コンビニで100円を使うことを渋る。その100円は使うべきところだったか考えているわけです。

 

そもそもコンビニで何となくものを買うのを、控えるだけで、月何万の節約になるかわかりません。

 

家計簿をつけておきながら、つけるだけに終わっていたなんて…

 

失策・失点・バツです。トライアンドエラーして、予算内に収めなければ意味がありません。

 

貯金額ってのは戦闘力です。コツコツ貯めるも、大金を得るのも自由ですが、失うのは突然かつ一瞬です。

 

それは必然として使うべきところなのか、また油断からの思わぬものか、はたまた自分の決断ミスから生じる出血なのか。

 

 

まぁ、まとめ。ひとまずその宝くじで当てた300円は交換です。

新世界

22#8.4

新世界と聞いたとき、世界そのものの変革と思う人と自分から見た世界の変革だと思う人。

 

この2者がいる。

 

冷静に考えれば世界そのものに変革が起きることなんて、ただの妄想でしかない。

 

そうなると自分から見た世界の変革、これしか新世界への侵入方法はないことになる。

 

ただそれは一時的なものだ。

不要と決めつけていたものが、実は有用で日々を充実させるものだったり、つまらないと思っていた小説やゲームが、案外面白かったり。

 

その間は通常の日々から逸脱した新世界へ突入していると言える。あらかじめ定義付けしておくと、通常の日々というのは簡潔に言って、つまらないとさえ思う日々のことである。

 

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23#7.4

なんだそんなのよくあることではないか。

そう思うだろう。

 

しかし、新世界の突入はある日を境に失敗する。

 

前述の例で言うと、

家庭で小説やゲームをやっておきながら、最後まで読みきらない、クリアまでやりきらない。

 

それを繰り返すとその方法では、新世界への突入ができなくなる。

 

それは日々の小さな楽しみや幸せがなくなることを意味する。

 

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24#6.4

歳をとるということは変動のない世界にいるということである。

 

新世界の突入は別の観点からみると、成長にあたる。

 

歳をとればとるほど、新世界への突入は不可能になり、従って成長する機会もなくなる。

 

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25#5.2

躓く…恐れ…抑制…行動…減衰…固定

 

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こんなことが公衆トイレの個室の見えづらいところに、書いてあったらワクワクします。

 

特にこんな暑い日なら尚更。

 

物語が始まりそう。

 

 

あー、物語書きたい。

追憶のサンフラワー

7月、8月ってなんか懐かしいよね……

ナツヤスミって存在、覚えてる?

 

―――

 

 

 

 

東京にいた頃、講義の合間に行った家系・飯作るのが面倒で行った家系・バイト終わりに行った家系。

 

僕の外食はほぼ家系ラーメンでした。

 

それは家から近かったのと、入りやすかったっていうだけの理由でしたが、当然味も気に入ってました。

 

横浜家系ラーメン・町田商店ってところです。チェーンだし行ったことある人も多いでしょう。

 

まぁ、なぜか群馬にはない。だから久しぶりに家系に行こうと思うと、別の店になります。

 

でも、味はほとんど同じ。

 

向こうでは固め・濃いめ・普通でやってました。早死に三段活用はしたことありません。

 

ストレスなのか濃い味でも全然気になりませんでした。

 

帰省する前に最後と思って食べた固め・濃いめ・普通の塩っぱいこと……

 

 

そして、今回群馬の家系で食べた固め・普通・普通の塩っぱいこと……

 

 

隣りの人が早死に三段活用をしているなか、こんな塩っぱかったかなぁって……

 

 

行ったことない人に言っておくと、その3つは麺の固さと味の濃さと脂の多さです。

ちなみに値段は普通のラーメンで700円程度、ラーメンって結構高い。

 

僕はネギラーメンが好きで大体900円くらいなんですけど、大してバイトしてなかったので、ご褒美みたいなもんでした。

 

今回は就職してるのでバイト戦士よりはお金あります。よって、ネギラーメンにしました。

 

塩っぱいことは別として味はやっぱ美味しかったです。

 

にぼしラーメンとか塩ラーメンとか食べてきたけど、家系の醤油が安定なんですよね。

 

 

今度いくときはニンニクいれてやろうと思います。次の日、仕事だと兵器と化すアレです。

 

 

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話は別ですが、同じ麺類として最近ハマってるカップ麺をついでに…

 

少し前の回でカップ麺をディスってた僕ですが、普通に好きです。

 

さて、その商品はニュータッチの台湾まぜそばです。

 

最初は明星?の200円くらいのまぜそばが美味しくって買ってたんですけど、最近売ってない。

 

似た商品で横にある130円くらいのやつがあったので、買ってみたらまぁまぁ美味い。

 

辛いのが苦手なひとはやめた方がいいかもしれません。

 

まぁ、ペヤングの赤いヤツよりはマシ。

 

 

□□□

 

 

過去、懐かしい場所、懐かしい動画……

 

同じ場所には今はもう同じ人はいないけど、同じ部屋で同じゲームをやって、同じ動画を見る。

 

それが何だかノスタルジー

 

……それで一向に新しいゲームや動画を見られていないんですね。

 

まぁ、しかし気に入ったものというのはいつ見てもいつやっても楽しい。

 

文字通り色あせない。

 

存在には残るものと残らないものがあって、残るものをひとは求めがちです。

 

しかし、大抵の本当に大切なものや一瞬の煌めきというのは残らないものです。

 

そういった本当に大切なものっていうのは、後に残らないだけあって、記憶にも残りづらい。

 

だから、やっぱり人は残るものを求めるんですね。

 

つまり、僕は時間が経ってふと立ち止まって考え込んで、結局大切に思ってしまうのは残るものだと思っています。

 

少し話は別となりますが、

 

もしも過去が下にあって未来が上にあるとしたら、そしてもしも何かのきっかけで足元が崩れたら。

 

そうしたら僕やあなたは過去に落ちるわけです。

 

自分の未来が想像できない人は過去に落ちて喜ぶことでしょう。

 

記憶の通り、あのときの一番の友達、親しみある時代、みんな違った青い春が待っているわけですから。

 

どうせ繰り返しなんだから、同じことをやっても面白くないだろって思う人もいるでしょう。

 

あるいは、1度やった事なら確定された結果が期待できるはずだ。例え過去は失敗でも2度目の過去ならやり直せる。

それは永遠の勝者を意味する。

なんて思う人もいるはずです。

 

残念。

 

人の海馬はそんなに優秀じゃないので、見覚えのある場面でも気づかない。そんなものです。

 

同じ場面で同じことができない。そういうことも必ず起きます。想定は想定のままで知っている結果は一つのみです。

 

つまり、こういうことです。

2020年から2016年に落ちたあなたは、きっと過去に遡ったと勘違いすることでしょう。

 

確かに2020年のあなたが2016年に落ちた、それを説明する言葉は過去への遡行としか言いようがありません。

 

しかし、あなたが2016年に落ちた時点で、あなたにとっての2020年までの4年間は不確定なものになります。

 

過去は過去ではなくなり、あなたは2016年に生きるひとりの人間でしかありません。

 

それは想像できない未来に向かって進む、ひとりの冒険者です。今の僕と全てのひとたちと変わりありません。

 

過去に遡って、過去の失敗を取り戻す。あるいは過去のチャンスを掴み成功を得る。

そんな物語をよく聞きます。

 

おかしいですね。可能性が一つしかない世界なら有りうるでしょう。

しかし、人生は想像できないくらい広がっていて、可能性に溢れています。

 

一つの失敗をしていても、次の機会を逃してしまう。それが普通です。

 

かの物語は過去に遡ったあと、怒涛の勢いで成功のみを掴んでいくことが大半です。

夢ですね。淡い夜の夢です。

 

でも、こうは言っていて、物語はそれでいいんですよね。物語は物語で夢だから。

 

 

そこにいるのは幾人かの友達を失い、過去を懐かしみ、それでいて思い出を多少忘れた。

現実に目を向け、たまに未来を想像するひとりの人間がいる。

 

それさえ分かっていれば。

 

 

 

じゃあ、僕はあの頃好きで今もやはり好きな動画を見つつ、あの頃と同じゲーム会社の作ったゲームをやります。

 

 

 

まったく、あの頃よりも何だか湿っぽい日ですね。

 

 

 

 

 

 

自己存在のミッシングリンク

ミッシングリンクとは生物学?において、進化の過程で辿れない断絶した部分のことを指すとかなんとか…… 

 

ブログ更新が5月から7月へとミッシングリンクしたとか、僕の記憶の10歳から15歳までがミッシングリンクしてるとか。

 

確実にミッシングリンクの使い方も意味も分かっていない。

 

しかし、まぁ、ミッシングリンク……

心惹かれるものがあります。

 

 

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最近欲しいやりたいと思っていたSEKIROを買いました。

多少は安くなると思っていたのに、全く値下がらないので、もういいかっていう感じです。

 

ソウルシリーズやってるし、何とかなるかと思ったんですけど、割と難しい。

 

鬼庭刑部雅孝までやりました。まだまだですね。

 

巷ではPS5の情報がチラホラと、見ましたかあのデザイン。何白黒でトロフィーみたいなやつ。好みが分かれるデザインに思います。

 

嫌いじゃないけどホコリ溜まりそう(小並感)

注目すべきはデモンズソウルリメイクですか、かなりグラフィックが綺麗になるようで……

 

世代ではないのでリアルタイムでやったわけではありませんが、デモンズソウルはかなり好きです。しかし、トロコンはしていない……

 

純刃マラソンが終わらなかった、ただそれだけの話。PS5発売+デモンズソウルリメイク発売を機にトロコンしておきたいものです。

 

社会人になって思うことは、そこそこお金あるなってことです。

 

学生時代はなにかと商品を見ては値段で悩みましたが、それが少し減りました。

あのとき一人暮らしであまりバイトもしたくなかった僕は、節制に努めていたわけです。

具体的に言うと100円単位で悩んでました。

 

それが1000円単位に変わったようなものです。

 

まぁ、あまり買うものも多くはないし、遊びにも自主的には行かない。お金はそれなりに貯める意思なく貯まっていきます。

 

そこで思うのが独身男性は、一体なにでお金を使っているのかということです。

 

既婚者はなにかと入用でしょうから、むしろ足りないと考えているかもしれません。

 

それはどうでもよし。

 

適当にサーフィンしたところ、自宅の環境を整えること・旅行・外食・投資の順で多いようです。

 

自宅環境は要するに家電買ったり、インテリアを整えたりすることです。

僕は物が少ない方がいいというタイプなので、そんなに惹かれるお金の使い道ではないですね。(実家の部屋の物が多すぎる件)

 

また、ゲームもこの範疇に入ります。やはりほとんどの人が休日ゲームしてるんですかね。ゲームはリアルから、第3の世界と言ってもいいですから、少しリアルのことを考えたくない人にとって最も有意義な時間になります。(第2の世界は知らない)

 

旅行は難しいです。自主的には行かないでしょうね。所謂行ってみたら楽しかった。そんなタイプです。最もお金の消費が大きそうなところも、また難しい。

 

外食は悪くないですね。ただ、いまは実家なので頻繁には行かなくてもいいかなとは思います。また、外食というのは一人暮らしの思考で言うと、無駄です。しかし、コンビニ弁当よりは断然良いです。

 

ちょっとオシャレな店を見つけること、カフェ巡り、ラーメン開拓などなど。単純に毎日を生きるという視点でプラスだし、有意義だと思います。無駄というのは、つまり人生においては有益なことなんですね。

 

賢い独身男性はあらかじめこうして店を見つけておくことで、あとあと右往左往しなくてもスマートに物事が進んでいく。なんてこともありそうです。

 

投資。これは不労所得と言ってもいいのでしょうか。知識がないため判断できないし、知識がないとそもそもお金が膨らまない。

ただ宝くじや賭博よりは現実的かもしれません。

 

まぁ、イメージ上ではデイトレードで一発当てる的な感じの投資ですが、きっとこの場合の投資はコツコツとしたものです。確定拠出年金みたいな。

運に賭けるのではなく、未来に賭けるのが投資であって、賭博とは同様ではないと思っています。

 

うーん。ただ独身男性の一般的なお金の使い道としては、微妙ですね。そんなあれこれ手をつける時間もなく、第一に1~5年目のような人はそんな気力もなさそうです。

 

ただこのへんは将来設計として、今の時代当然となりつつあります。個人年金とかね。いつかやる必要のあることです。早めにやれば尚更良し。長い目で見ると投資はメリットがあります。

 

 

まぁまぁ、妥当な使い道でしたね。ふと、学生の頃を思い出すと世界は無限に拡がっているような、無敵感覚がありませんでしたか?

 

毎日が新鮮で新しい物事に触れ合える。しかし、お金が無いからなかなか踏み出せないことも。

 

今になってお金がそこそこあるなかで、立ち止まって考えると、あら不思議やることがありません。

 

あえて一歩を踏み出せないおかげで、世界は無限ではなく有限だと言うことも知りえなかったわけです。

 

ただこうも思います。井の中の蛙大海を知らず。つまらなそう、疲れそう、リスクとリターンが見合っていない。そんな理由でやらなかった、決めつけていた物事がやってみて理解することで、実は結構面白かった。そんなことの方が多い。

 

長く生きるとそれに従って、単純にぶつかる新鮮な物事は当然減ります。やはりこれからは自主的に探索しないと楽しさや幸せは見つからないのです。

 

学生時代にキャッキャウフフしてたパリピor陽キャは実は凄い人達だし、結婚することは難しくて既婚者はひとつのゴールを踏みしめた到達者です。

 

逆に僕みたいに達観してるようで幼稚、物事を斜めに見ているようで何も考えていない。

それはやはり何も生まないでしょう。

 

賢しらに言っといて、この生き方。なかなか変えられません。

 

でも、まぁ結婚はしよう。世間体が悪いから。

 

こいつ絶対彼女すらできないだろ……

 

 

そう思ったなら、それは正しい。

 

 

 

 

 

 

「逃げるが勝ち」それは結局は負け

逃げるが勝ち。

勝負において、逃げることで結局は勝利を得る。つまり、結果的に勝つことを指す。

 

この言葉を最初に言った人は、勝者なのか敗者なのだろうか?

 

人は日々、逃げ続ける。向き合うことを避ける。そんな人が「逃げるが勝ち」なんて言ったら最後、もう戻れはしない。

 

大事なときほど、辛くて逃げだしたい。そんなことばかり。けれど、それで逃げて得られるものなんて、何もない。何も得られなかった者のこと、それを人は敗者という。

 

つまり、逃げるが勝ちを最初に言った人は敗者なのである。

 

人が一生において、最初の逃げ・挫折はなんだろうか?

 

最初の夢、最初の恋……

全てのはじめては、大抵叶わない。

 

それについて、いま後悔しているだろうか?

何か理由をつけて逃げ続けてはいないだろうか?

 

時間は何事をも解決する万能薬、きっとその心の軋みも和らぐ。

しかし、劇薬でもある。

ふとした瞬間、あのとき・あの場所……

こうしていれば、ああしていれば……

 

せめてすぐに向き合っていれば……

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

さて、僕は紛うことなき敗者である。

 

夢はなかった、今どきそういうこともある。

初恋はあった、叶わなかった。

蝋燭のような僅かな灯火は、ふと溜め息をつけば消えてしまった。

(訳:諦め逃げた)

 

いま期間限定のイベントを逃した!そんなくらいには後悔している。

 

まぁ、もう時すでに遅し。あとのまつり。

 

僕の後悔は非常に軽い。なにせ挑戦しない。

挑戦しなければ、失敗もなく後悔もない。

かつてはそれが次善だと思い切っていた。

 

きっとふとした瞬間に後悔を思い出す。そのくらい強い後悔をもつ人もいるだろう。

 

いや、そんなこともないか。少しでも挑戦をした人って、したいことをやりきるでしょう。やりきれば、後悔もない。

 

逆に僕みたいに余地がある人間は後悔も大きい。さきのように逃げることは次善でしかなかったわけだ。

 

その時には傷もなく問題がなくても、今となってはチクチク痛む。遅効性の毒みたいな。

 

 

あーあ。

 

 

こういうのって後から取り戻せないから。

本当に始末が悪い。

 

どんなに惨めで情けなくても、やりきっとけばなぁ。

まぁ、自分を思い返すとそんなこと、できっこないよなって思う。

 

若ければそれも取り戻せる、なんて話もある。

実際、20歳になるまで-学生-の頃は謎の全能感に満ち溢れていた。

 

それは経験したことが少ないからだと思う。物事に挑戦するとき、その難易度の高さを知らないと逆にとにかく頑張れる。

 

自分に見切りをつけていないこと、可能性を信じられること、その無謀さの結果にある失敗を恐れていないこと。

これらの理由で頑張れる。

 

あぁ、それと単純ながら気力。これは大きい。全能感の理由だ。

 

20歳を超えると途端に気力がなくなる、大学を行かないでゴロゴロしちゃう気持ちも分かるってもんだ。

 

 

受験勉強が最初の試練なら、最後の試練は卒業。遠足みたいに帰るまでが大事。

浪人や留年すると卒業が遠くなるのは、20歳までの貴重な気力を浪費しているからに違いない。

 

もちろんそれに意味がないとは言えない。大卒というステータスは免許証に近い。就職に必要な資格に運転免許は必須とは言わないが、必要なものだったりする。

 

 

いま多くの人が使用しているというか、依存しているスマートフォン

分からないことがあれば、すぐに調べられる。かつては情報の伝達手段は電話かメールしかなかった。

 

スマートフォンが現れる前、一体どうやって暮らしていたんだ?

なんて、思うひとも多いはず。

 

便利さを享受した一方で、夢を諦めた人もいるだろう。

 

つまり、スマホは自分の夢がどれだけ厳しいことなのか調べることができる。

また、夢を叶えた結果、必ずしも幸せにはなれないことも現実として知ってしまうわけだ。

 

 

クリスマスにサンタさんは来ないし、仮面ライダーウルトラマンは現実にはいない。

 

 

逃げるが勝ちは負けではある。

だが、負けたことで不幸になるわけでもない。

そうなると夢にこだわる必要もない。

 

文系と理系、敷かれたレールに沿って歩くのは別に悪い話でもない。

平凡かもしれないが、実はその平凡もまた難しいとその頃には理解しているだろう。

 

 

脈絡もなにもないが、今回の教訓としては後悔したなら1歳歳をとるまでに解決しろということ。つまり、1年以内。

もちろん次の日でも1週間以内でも1ヶ月以内でも、当然早い方がいい。

 

 

あなたの後悔が過去になる前にね。

 

 

人生には当たり前に逃げてもいい選択肢と逃げたら後悔する選択肢がある。

 

挑戦者には特大の分岐点が表れやすいだろうし、普通の人でも数回はある。

 

 

大人になるって諦めるってことだから。

子どもが大人に反発するのって、まさにそれだね。子どもは諦めることを知らない。

 

 

まぁ、それでも。

少年漫画でもよく主人公が強敵と戦うじゃないか。彼は逃げるだろうか。

 

逃げないし、読者もきっと逃げて欲しくないと思うはずだ。

やはり、誰しも逃げたくはない。結果はどうあれ立ち向かいたい。

 

一度逃げれば、選択肢にそれが含まれてしまうから。弱い僕はすぐその選択肢を選びたくなってしまう。

 

そうだ。少年漫画にも強敵から逃げて、成長してまた立ち向かい打ち勝つ。

そんな話もあるよね。

 

まさにそれって人生。僕たちには一度きりしかない人生だけど、今ある物語ひとつひとつに人生-ストーリー-がある。

 

読書やゲームは娯楽。でも、それに意味がないわけじゃない。

経験を詰んだ人間のつくった物語、AIすらも真似できない作品。そう一度きりしかない人生でつくった物語。

 

 

それに触れるってとても勉強になると僕は思う。

 

 

まずは10年後、僕は逃げていないだろうか。

挑戦し、成長しているだろうか。

 

 

長いようで短い物語は僕の場合、既に10分の1は進んでしまっている。

 

 

 

 

思ったこと、過ぎ去った毎日 : take1

一つのことだけ書くのは難しい、そんな時にアレコレを脈絡なく書いていく。

それがこのコーナーです。

(何か良いタイトル思いついたら変更します)

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Re:1「4月度上半期戦役レポート」

 

ブログは日記という体ではじめた割には毎日書いてない件について。

釈明するならば、自分の日々は毎日かけるほど潤っていない。

大学卒業して、もう仕方ないので就職しました。その結果、前ほど時間がなくなりました。それなりに疲れております。

 

まぁ、だいたいその2点で毎日は書けてません。(元々毎日はやるつもりはない)

 

しかし、前回からそこそこ時間が経ちました。学校や仕事、社会に関わると時間の経過は早いものです。

 

グレイセスエフを買ったものの、あまり手をつけていない。まだ、環境に慣れません。

 

仕事もまだ戦力的にはバイト以下なので、この慣れなさは気の遠くなるほど続くでしょう。

 

ふと思うのですが、何故働くのか?何故働かないのか?

 

学校を卒業したら、就職は逃れられないルートです。一方で、引きこもって仕事をしない人もいます。

 

まぁ、その前に現時点で何故自分が仕事をしているかについて少し。

 

まずお金には興味があまりありません。必要な時に必要な金額さえあればそれでオールOK。先のことをあまり考えないタイプです。

 

親にフリーターになったら家を追い出す的なのを軽く言われたこと。これは少し頭に残ってますね。

 

中学時代、寝てばかりいて最悪別にそれでもいいやと思ってました。そんな時の言葉です。ありうると思われた?

 

学校には休まず行ってるし、宿題もやる。それ以外は寝る。対外的には優等生です。

なのに、めっちゃ怒られました。

当時も今考えても、訳分かりません。

 

やることをやれば子どもはそれでいいと思いませんか?

 

僕と兄弟は似ているのですが、同じことをしても怒られていません。

これは俗に言う、長男は何かとやたら怒られる。まさにそれです。生涯を通して面倒な立場。

 

ここで面倒にならないように、正社員で適当なところで働くという考えが少しあったかもしれない。

 

あとは、同年代が働いてるのに自分が働いていないというのは耐えられない。割と厭世的な僕も、そこは多少気にします。

 

まとめると、働かなくて好きなことをする生活には憧れるも、それは妄想や理想の類であって、現実としては想像できなかった。

つまり、働くよりも働かないという選択は難しいことだからです。

 

面倒だし辛い、正直やる気はマチマチだけど、働くということは選択肢としては楽です。

 

さて、でも何故働くのかという根本的な所は未だ説明できません。

生命維持活動のため?

確かにそういう人もいるでしょう。実際、働きお金を得て食べ物を買う。それがなければ死あるのみ。

 

でも、生に対してそれほどこだわりがない。そんな人もいるはずです。まさに僕のことなんですけどね。

自分の死に際にはそう思えているでしょうか?

 

学校を卒業、その後就職、一般的かつ当たり前のルートです。

何故働くのかについての答えは、そういうものだという固定観念が前提にあると思います。

自分の現在のステップに対して、次に提示されるステップ。それは先達の後追いをしているに過ぎません。

 

そんな中で働かないことを選択する人がいます。所謂ニートです。

現在社会問題になるほど、その存在は普通ではありません。

 

しかし、多くの人が働くことを選択する中で、働かないことを選択するって不思議というか、寧ろ凄いなとまで思いませんか?

 

人と違うことをする。それは相当辛いです。人は生きるためには食べなければならない。

ニートはヒモになるか、親の脛をかじるか。

その2択しか生きる手段がありません。

 

冷静に考えても精神的重圧が計り知れません。きっとプライドなんて粉々でしょう。

普通に働いた方が気楽まであります。

 

逆に言うとそれほど働きたくないってことです。精神病が原因なら、それほど仕事で嫌なことがあったってことです。

 

考えると働く、働かない、その両者にはその選択肢しかない。

この世界にはこの二つしか、選択肢がありません。どちらが幸せなんでしょうか。

 

一つ言えるのは学校というのは守られた環境なんだろうなということです。

それから先は人外魔境、誰も見たことの無い自分だけが歩むルートです。

 

では、挫折したらニートかと言うと少し違う気がします。

 

社会というのは未だ整っていない世界です。

そこに身一つで挑む、働くことを選択する人こそ命知らずなのかもしれません。

 

勉強と仕事の違いは、一つ受け身ではいられないということがあります。

自分で学び、実践、評価。トライアンドエラーを繰り返さないと、立場の上昇にも成長にも繋がらないわけです。

 

要領の良し悪しを加味しても、ライフを犠牲にワークをする。その傾向にしなければ、ずっと同じくらいの給料もあるかもしれません。

 

ワークライフバランスは難しい。そんな環境。

そこに対峙するのが現代の冒険者、働くもの達。

 

 

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Re:2「5月度中期戦役レポート」

 

何故か4月が終わって、5月も終わろうとしている件について。

 

釈明すると、とにかく忙しい。仕事自体は新入社員ということもあって、おおめに見てもらえているわけですが……

やはり慣れない毎日。先達の皆様には心苦しくも、忙しいと言わざるを得ない。

 

21卒は社会状況的に研修や仕事自体がままなりません。僕も仕事自体はできていますが、研修はほぼ白紙状態でした。最近やっと新入社員教育の展望が整いつつあるといったところです。

 

個人的には仕事や環境の不安よりも、研修の遅れがキャリアステップや立場の遅れを招くことを恐れています。

 

まぁ、僕が無能で仕事全然できないよ!昇給も昇進も有り得ないね!年功序列が多少残ってることに有難く思え!って言うなら問題ない?

 

今のところ、上司の指示を遂行するロボットでしかないので、人間に成長できた時、僕が無能か有能かが分かるわけです。

 

きっともうその片鱗は見えてきてるはずです。僕には判断しかねますが……

 

もしも給料の判断基準が能力給(成果給?)ではなく時間給なら無能でもかまいません。

しかし、ほとんどの企業は実態はともかく能力給をうたっているはずです。

 

ただ決められた時間働けばいいってわけじゃないのが、冷静に考えると厳しい世界です。

 

厳しいってのは、会社や業界自体も安定しているわけじゃないっても含めて。

 

まぁ、いずれにしても考えて答えのでる問題でもありません。どれだけ手を抜いても、どれだけ頑張っても結果は分かりません。

 

一つ会社の中で新人と言われる人達に対して、言えることがあるとすれば、今は例えどれだけの理不尽が降りかかったとしても、我慢・雌伏の時ということです。

 

そのためには休日なにをするかというのが大事なんですよね。ストレス発散ってやつ。

したがって、これといった趣味のない僕は潰れる可能性が高い典型でもあります。

 

 

そういえば、MHWIが40%セールだよ!って話を3月くらいにしたと思います。

実はそうは言いつつ僕は買ってませんでした。

 

なぜならストレスになりかねないから。

 

しかし、時は5月GWなんていう僕にはなかったイベントにおいて、またも40%セールをしていたんですね。

 

ただここでも僕はそんなに買うつもりはありませんでした。

 

時間もないし、あれって突き詰めると作業だしストレス解消できるか疑問だし、そもそもやり倒したから楽しめるかも疑問ってな感じでです。

 

ただたまに遊ぶ友人が一緒にやろうぜ!と言ってきたので、今となってはそんなに高くないし買っておくのも悪くないかなと思ったんですね。

 

つまり、買いました。買ってしまいました。

トロコン地獄のはじまりです。

 

まぁ、トロコン熱も正直覚めてます。友人と遊ぶくらいで終了かもしれません。

 

 

さて、今回注意したいのがよくある罠-トラップ-についてです。

 

それは「友人に一緒に遊ぼうぜと言われて買ったものの、実際あんまり連絡来なくて数回しかやらなかった」です。

 

学生のときあんまりお金ないのにやられます。今回もこのパターンな気がしてなりません。

 

そもそも遊ぶ日って4択じゃないですか。

1.双方の休日

2.双方の平日(勤務日)

3.自分が休日、片方が平日(勤務日)

4.その逆

 

そりゃ理想は言うまでもなく1です。でも社会人ともなれば、その日にちを合わせるのは至難の業。2~4になることもあるでしょう。

 

ただできれば3にしたいというのが本音です。これは自分本位で相手も察するところでしょう。

 

つまり、そんな話をしているだけでただでさえ遊ばないのに、さらに遊べなくなる悪循環に陥るわけです。

 

結果として、上記の現象になってしまうんですね。

だから、あんまり友人の一緒に遊ぼうを期待しないように!

 

そして、忙しい中時間をつくってくれる友人。特に勤務日であったにも関わらず時間を共有してくれる友人に感謝を!