ギルティクラウンというアニメ
そう…ギルティクラウンっていうアニメがあったんです。
あれは暑い夏の真夜中だったかな。
僕はなんのキッカケか、命を削るようにアニメを見ていた時期がありました。
そのころ僕は中学生、まぁ、よくある話でしょうけどね。
僕もその例に及んで、ご飯を食べることと寝ること以外はアニメを見ていました。
ちょうど夏休みだったから、家族に白い目で見られるくらいで現実には問題はありませんでしたよ。
その後はさておき…
最初は評判の良さそうなアニメを見ていたわけですが、やっぱり万人とも言える人たちが揃って良いというアニメなんてそうないんです。
それで、あらすじとタイトルで選んで一話見て、気に入ったら全部見るってのを繰り返していました。
そんなとき、ギルティクラウンっていうアニメがあったんです。
一言でいうと、面白かった。カッコいいなって思いました。だってそうでしょ。
「友達を武器に戦う、それは僕が戴きし、罪の王冠」
中二病には惹かれるテーマでしょう。深く考えないで、雰囲気というか感覚で楽しむ。すると、最高に面白いアニメと言えます。
しかし、調べると出てくる。低評価の数々…
当然です。考えるとおかしい、物語として破綻してると言ってもいいくらいに。
でも、僕は見てほしいんですよ。特にいま学生だったり、少し前は学生だったなんて人達に。
あ、男性ですよ。
まぁ、さっきも言ったように物語としての完成度は低いです。多分、うまくいったら面白いアニメトップ10には入っていたじゃないか。
そう思うひとがいるから、低評価が多いってところあるはず。
というのも、物語としての設定や登場人物たちの設定などが、かなり面白くなりそうな内容。
アニメはそのあたり尺の問題で、飛ばしすぎたり、いらないところを長くいれたりで、要するに説明不足。
特にep1が意味不明で突然すぎる。何の説明もなく主人公はなにかしたいとそれだけ。ロストクリスマスの描写が後半に少しだけなのが痛すぎる。
アニメは、といってもオリジナルアニメなので原作はないです。やはり、そこにも準備というか設定の詰めが甘い理由がありそうです。
きっと入れたい要素だったり、話が多すぎたんでしょうね…、詰め込みすぎですよ。物語として伝えたいことが意味不明。
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…さて、僕が気に入っている点としては、映像や音楽の素晴らしさ。これは満場一致の見解でしょう。
そして、ヒロイン。楪いのり。彼女は主人公である桜満集に最後まで尽くします。それは、ヒロインとしてのあり方の一つの回答になるかと思います。物語の中で主人公を本当の意味で、傾倒し依存する勢いで信じたのは彼女であり、また主人公も同レベルで信じたのは彼女だけでした。
主人公、桜満集。彼は主人公として失格です。しかし、このアニメで主人公としての働きは期待されていない。どれだけクズ最低であっても、問題ありません。彼は王なのです。箱庭の王であり、仮初の王。
実際、僕は彼をクズだとは思いませんが、そう思う人が多くいるようです。問題ありません。
全く大人ではないし、自分から動こうとしない自然な変化を待つタイプの人間です。現実では、変化などそうそう起こるものではないですが、アニメなのでそこは問題なし。
彼は一言でいうと「自分の意思がない」のです。それは最後まで一貫してありません。大きな川の流れに逆らうことのできない葉や流木と同じように。
しかし、それは現実には生きるほぼ全ての人間にも言えることです。人間は弱い、力を得たとて失うこともある。キレイなばかりでもないし、寧ろ心の内は汚かったりもする。
なにより、彼は力を王冠を得て、罪を背負い。そして、結局失った。
恙神 涯。彼は葬儀社と呼ばれる政府側(アンチボディズ、GHQ)と敵対するテロリストのリーダーです。彼の行動原理はいまいちよく分かりません。
色々とこれだろうと言えることはあるのですが、フワッとしていて確実ではありません。
強くなるために組織をつくったのか、アポカリプスウイルスに抵抗するために組織をつくったのか。それとも政府に抵抗するために組織をつくったのか。
作品のなかで言った通りで、桜満真名を救うためなのか…。確かにアポカリプスウイルスのはじまりから解放できてはいますし。自分の考えを誰かに伝える場面があまりに少なく、回りくどいという印象です。
とりあえず、もしもそれで桜満真名を救う理由が恋だったなら、彼自身に救いはなかったし、色々と残念に思います。
校条 祭。意志のない主人公を暗い夜道に迷いこませないように、輝く唯一の光。桜満集の心の半分以上は祭で占められている。
疲れた。最後、嘘界(セガイ)。この作品である意味、一番マトモな人。その行動原理は明確で狂人として描かれているが、行動に一貫性があるため、あまりそうは見えない。この人が最初からセフィラゲノミクスの所長やGHQのトップでもおかしくなかった。むしろ、あの人たち小物すぎないだろうか。
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□エピソードごとの感想
ep1
なにか起きないだろうかと、窓際の席でたそがれる主人公が中二病なのは疑いようがない。
ヴォイドゲノムがその手に落ちたのも、適合したのも運命。
ep2
日常から離れたがっていた集が涯の誘いを断り、日常へと戻った。謎行動だが、主人公の性格をよく表している場面。
ep3
寒川谷尋の裏切りは当然。彼の行動原理は弟である潤が全て。体育館?で彼を殺さなかったことで、学園での集のヴォイドランク王国がはじまる。ある意味、あれが弟の死の復讐か。
ep4
GHQと葬儀社どちらを信じるか悩む集、それも当然どちらも知らなすぎる。結果、集が信じたのは単身助けに現れたいのりだった。いのりが来たことに驚く涯であった、後々にいのりは集への献身は涯の命令だと言う場面がある。この時いのりが来たのは、十中八九自分の意志。
それをふまえると、確かに集への献身は命令であったが、しかしこのときから自発的な意志でもあったことが分かる。
つまり、あれは恋心に戸惑う裏返しの反発だった。
ep5
ちょっとep4にフライングして言い過ぎた。訓練は集の自信をつける場面かもしれないが、ぶっちゃけそんなにいらないシーン。涯の部屋にいのりが入っていったのはR18展開ではない。
ep6
集がカッコ悪い。まぁまぁ涯を疑ってたのに、涯の独り言を聞いて殴り合いしたら万事解決した。いのりがあの場所に連れてきたというのも、涯の命令。その発想はなかったのだろうか。
ep7
供奉院を登場させるためだけのエピソード。後半あれだけブラックなエピソードがあるなら、説明回をこの辺にいれてもよかった。若干コメディ感がある。ちょっとふざけた?
ep8
魂館颯太との関係がツギハギだらけのパッと見友達から、知り合いへと変化した。このアニメは恋愛っていうジャンルではないとは思うが、このあたりで集はいのりへの気持ちをハッキリさせてもよかった。最終回まで集はいのりに好きって言ってない気がする。
まだ、颯太のヴォイドが缶切りって言われてない時期。
ep9
集の慢心で起こった悲劇?。潤と谷尋の関係を美しい兄弟のままで、終わらせるなら集の決断は正しかった。このエピソードで集は自分の慢心を恥じ、ヴォイドを取り出すことにトラウマを持つ。ただ、集の慢心はおそらく鈍感とセットになるほど性格のうちに入る。いのりか涯がいないと作戦はうまく進まない。
ep10
ツグミの音ゲーみたいな動きが気になる。祭に対して失礼なことを言う集だが、絶対分かってない。謝りすぎて集の謝罪は価値が暴落している。茎道の目論見はかなり俗なのが、見え始める頃。
ep11
きっとハッピーエンドで終わるアニメなら、ここで終わってる。けれど、ここで終わってたらたぶんそんなに好きになれない。
ep12
説明回。ある程度、ロストクリスマスで何があった分かる。集と真名は血縁関係にないため、真名の集への気持ちは一応法律上おかしくないのか?
集は目的を果たし、涯は失敗した。涯の真名の解放はこの失敗で、手法を変えることになったという解釈は合ってるのだろうか。
ep13
また、新たな局面へと移ったという説明回も含まれているはず。正直このエピソードもいらない。意味があるとすれば、ヴォイドレゾナンスゲージを手に入れたこと。確かなのは奴らは青年という年齢ではない。
ep14
この学園には性欲しか頭にない男が多いらしい。
供奉院をトップから引きずり下ろしたところで、物資の確保ができるのは供奉院グループだけ。眼鏡がトップになってどうしようとしていたのかは不明。
集はep13-14にかけて比較的落ち着いているが、いざというときの力を持っているせいか、それとも次話への裏返しか…
ep15
悲劇だが、好きなエピソード。全てのひとの機嫌をうかがいどっちつかずな態度をとっていたことで、
集は祭を失った。集はリーダーとして祭の意志と反して、非情になることを選んだ。
なんだかんだ言って集と涯は似ている気がする。
ep16
祭の死によって狂いはじめる集、と思いきや本心をいのり以外には閉ざしているだけだった。心を操る集の心を見ようとする者はいない、王国民は王の表面だけを見ることで物語は進んでいく。
ep17
有象無象の不安や憎しみはやはり、トップを変えるだけでは消えなかった。恐怖は人を縛ったが、縛られた人の目的の優先順位が、脱出から復讐へと変化することを集は予期していなかった。そして、最もいらないシーンがこのエピソードには含まれている。
王の力を失う集、やり方を変えた涯にとってそれは集を救ったつもりなのかもしれない。涯がもはや別人とは安直すぎて僕はそう思いたくはない。彼が現れたこと自体に不思議はない、彼は元より死人。
ep18
全てをなくした少年に手を差し伸べるのは少女ひとりだけだった。罪が許されることはないが、それを差し置いても少女を失うことは見逃せない。
ep19
ヴォイドゲノムが集の元に現れるのは2回目、どちらも運命だった。死の覚悟をしたからか、集はこのエピソード以降揺るがない。
ep20
過去を知り、淘汰の光に旅立つ集。ヴォイドと同様集は全てを受け入れ赦す。
ep21
いのりを助けることはもはや叶わない。怒涛の展開に理解も追いつかない。前々から思っていたが、ダアトが王の力を使えるのは、3本のうちの1本ということでいいのだろうか。それにしても、白服のやつらの心から出るヴォイドが武器ばかり。涯の目利きか?
また、涯とダアトのヴォイドの使い方は何なのか。心を混ぜ合わせてなんともないなんて有り得るのか。
説明ください。
ep22
集と涯の最後。彼らが戦う必要は本当にあったのだろうか。いずれにしろ涯は目的を達成し、集は失敗した。
いのりはずっと一緒にと言ったが、集はいのりにかばわれ一人満身創痍で救われる。その意味とは彼の心にずっと一緒にというわけか。
水際の木陰にあるベンチ、彼女の歌を聞きながら目を閉じればすぐそこに
結果として、集はほぼ全てを失った。王の力と罪の代償と言える。
主人公の最後としては印象に残る場面だろう。
全ての登場人物に目的があり、正義があり、それに従い行動する。全体を見るとチグハグな感が否めない物語だが、集にとってはハッピーエンドなのかもしれない。
例え一見バットエンドにしか見えなくても、彼は視力の失った目を閉じれば、いのりがいるのだから。
あれ?もしかして終わり?
……
まぁ、僕は最後の終わり方、気に入ってます。
主人公がヒロインと永遠に共にいるからではなく、主人公である桜満集が力を得たが、その代償は力を得る以前よりも大きく身体能力を低下させました。
つまりは、大きな力には代償が付き物だろう…っていう所がいいんです。
また、その結果得るものは第三者から見れば何一つない。寧ろあのとき徹底して葬儀社と関わらなければ、祭と幸せな未来があったのではないか。
そんな不合理というか、主人公の意志の弱さの生んだ結末が好きですね。
主人公とはいえど涯や谷尋など、登場人物と変わらず何かを失うっていうね。
その点、缶切りと呼ばれる彼は……
ぶつ切りみたいに終わるけど、それもそれで見方を変えればエモいでしょう。
…
ん?何ですか?打ち切りエンドではありません。
…
さて、このアニメの次に見たのは[ C ]THE MONEY OF SOUL AND POSSIBILITY CONTROL です。
この流れは覚えています。そう、知ってる人は分かると思いますが、このとき僕はノイタミナのアニメを巡っていたんですね。
いずれ今更このアニメの感想を書くこともあるかもしれません。
…ところで、ギルティクラウン、ヴォイドゲノムは王の力とも呼ばれますが、王…心惹かれます。
僕は小説でも戦記が好きなんですよ、没落寸前の王国や帝国を全盛期以上に復活させる物語とかね。
そんなわけで、中二病の方々、おすすめです。